東京高等裁判所 昭和27年(う)2831号 判決 1952年12月18日
控訴人 東京地方検察庁検事正代理検事 田中万一
被告人 稲田龍治 小暮勝五郎
検察官 曽我部正実関与
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、東京地方検察庁検事正代理検事田中万一作成名義の控訴趣意書記載のとおりである。これに対し当裁判所は左の如く判断する。
検察官の控訴論旨は原審裁判所が原判示第一の被告人稲田龍治が二瓶宗一及び野口静子と共謀の上、キャバレー内ホールにおいて数十名の観客が取り巻く裡に右野口静子が腰部に白色のサロン一枚を纒い胸部に乳バンド一本を着けたにとどまる半裸体の身仕度をもつて立ち現われ「マニヒニメレ」と題する「ジャズ」演奏に合わせて臀部をことさらに動かすいわゆる「フラダンス」を踊りつつ先ず乳バンドを取り去り次いでサロンを脱ぎ捨てて陰部を露出した後更に両脚を交互に挙げ両股を開いたまま臀部を床に附ける等の挙措を為した所為を刑法第百七十四条の公然猥褻罪に問擬したこと並びに原判示第二の(一)の被告人小暮勝五郎が被告人稲田龍治から右野口静子の実演方斡旋の依頼を受けるやその実演内容が前記のような猥褻に亘るものたることを知りながら同女に右実演方を申し入れ同女からその承諾を得た上同女を前記キャバレーに連行して同女を被告人稲田龍治との間における右実演の契約を取り纒めもつて被告人稲田龍治二瓶宗一及び野口静子が前記第一のような犯行を為すことを容易ならしめてこれを幇助した所為を刑法第百七十四条第六十二条の公然猥褻幇助罪に問擬したことをもつていずれも法令の解釈適用の誤であるとし、よろしく右第一の所為については刑法第百七十五条の猥褻物公然陳列罪をもつて、また右第二の(一)の所為については同法第百七十五条第六十二条の猥褻物公然陳列幇助罪をもつてそれぞれ問擬すべきであると主張するのであつて、その論拠とするところは、これを要するに(イ)刑法第百七十四条にいわゆる猥褻の行為であるためには人の精神作用の発露たる行為であることを要するのであるが、原判示第一の野口静子によるいわゆるエロシヨウは一定の効果をねらつた演出の下に音楽に合せライトを浴びながら踊る舞踊全体が観客の性慾を刺戟興奮させ羞恥嫌悪の情を生ぜしめるのであつて、右演技全体を目して寧ろ刑法第百七十五条の「物」の範ちゆうに含まれるべきものと解すべく、この演技全体の中心をなす同女の全裸の肉体は精神ある人の行為としての意味を全然有せず、単なる肉体の観覧物に過ぎず、しかも演出者の意図のままに動く道具に外ならないと見るべきである。また(ロ)刑法第百七十四条の公然猥褻罪の法定刑は六月以下の懲役若しくは五百円以下の罰金又は拘留若しくは科料であり、同法第百七十五条の猥褻物公然陳列罪の法定刑は二年以下の懲役又は五千円以下の罰金若しくは科料である。そこで若し原判決の如き解釈によるとすれば例えば情交の場面を描いた春画又は映画の如きを公衆の観覧に供する場合と同じく情交の場面を劇に仕組み或はいわゆるシヨウとして現実の人間に演出させて観客に供する場合とについて、観客の性慾を刺戟興奮させる程度を比較すれば、後者は前者よりも格段に強烈であるにかかわらず、法定刑は却つて軽くなり権衡を失するというのである。よつて按ずるのに、刑法第百七十四条にいわゆる猥褻の行為とはその行為者又はその他の者の性慾を刺戟興奮又は満足させる動作であつて、普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反するものと解するのを相当とする。即ち行為者が自己の性慾を刺戟興奮又は満足させる目的でその動作に出る場合が前記猥褻の行為に該当することはいうまでもないのであるが、この場合のみに限定すべきものではないのであつて、たとえその動作により行為者自身の性慾は刺戟興奮又は満足させられなくとも、その動作により行為者以外の者の性慾が刺戟興奮又は満足させられるのであれば、この場合も亦刑法第百七十四条にいわゆる猥褻の行為に該当するものと認めるべきである。控訴論旨において猥褻の行為とは人の精神作用の発露たる行為でなければならないと主張するのは、如何なることを意味すのであるか必ずしも明瞭でないが、少くとも前記野口静子の原判示のとおりの動作が他人(原判示数十名の観客)の性慾を刺戟興奮させるものであり且つ同女がその原判示行為当時このことを認識していたこと及びこれが普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義心に反するものであることはいずれも原判決挙示の証拠によりこれを肯認するに十分であり、記録に徴しても右認定が誤であると思われる点はないから、同女の右所為はまさしく刑法第百七十四条にいわゆる猥褻の行為に該当するものと認めるべきである。そして被告人稲田龍治が二瓶宗一と共に右野口静子の前記のとおりの猥褻の行為に共謀加担したこと並びに被告人小暮勝五郎が猥褻の行為を幇助したこともまた原判決挙示の証拠によりこれを認めるに難くなく、記録上右認定が誤であると思われる廉はないから、被告人稲田龍治の所為を公然猥褻罪、被告人小暮勝五郎の所為を同幇助罪とそれぞれ認定処断した原審判決は違法でないというべきである。刑法第百七十四条にいわゆる「公然猥褻の行為」も同法第百七十五条にいわゆる「猥褻物の公然陳列」も、ひとしく性風俗を侵害する犯罪であるが、右各法条の文言自体に徴すると、両者区別の標準は、その法益侵害が前者にあつては人の動作を他人に知覚させることにより行われ、後者にあつては物を他人に知覚させることにより行われる点に存するものと認めるのを相当とする。人はその通常の姿では性風俗を侵害しない。特殊な動作を行う場合にのみ性風俗を侵害する危険を生ずるに対し、猥褻物は、その儘の姿が常に性風俗を侵害する危険を包蔵しているのである。論旨指摘の情交の場面に関する設例において、人の動作による場合が春画、映画等による場合に比し寧ろ他人の性慾を刺戟興奮させる程度が強烈であることは、これを諒解するに難くなく、しかも公然猥褻罪の法定刑が猥褻物公然陳列罪の法定刑よりも軽いことは所論のとおりであるが、個々の場合においてこれを知覚する他人の性慾を刺戟興奮させる程度の強弱のみが刑法において法定刑の重軽を定める標準となつたものであることは必ずしも解せられないばかりでなく、一般に法定刑に不合理な点があれば、よろしく法の改正にその是正解決の途を求めるべきである。即ち所論はいずれもこれを採用する訳に行かない。なお、劇場で約二百名の観客を前にし、舞台中央に巾約二米の薄い幕を垂下し、頭上に二百燭光の電燈二個を点じ観客の方からその幕を透して電燈の照明により十分その形、動作が透視できるようにした舞台の上に、女優が初めは全裸で紅絹の布切を胸の辺から垂らして持つた姿で立ち、開演するとその布切を下に落して全く一糸まとわない裸体を観客の方に向け約一分三十秒間あるポーズを取つて立つていた事実は刑法第百七十四条に、該当すること明白であるとした最高裁判所の判例(昭和二十五年十一月二十一日第三小法廷判決、判例集第四巻第十一号第二三五六頁参照)がある。結局論旨は理由がない。
よつて刑事訴訟法第三百九十六条に則り主文のとおり判決する。
(裁判長判事 藤島利郎 判事 飯田一郎 判事 井波七郎)
控訴趣意
原判決は判示第一の事実につき刑法一七四条(公然猥褻罪)判示第二の(一)の事実につき刑法一七四条、六二条を夫々適用したが、右は法令の解釈適用を誤つたもので起訴状記載の罰条のごとく判示第一の事実については刑法一七五条(猥褻物公然陳列罪)、判示第二の(一)の事実については刑法一七五条、六二条をもつて問擬すべきものと信ずる。従つて法定刑に差異のある右罰条の変更に伴つて当然量刑を異にする筋合であるから、右法令の違反が判決に影響を及ぼすこと明白であつて破棄せらるべきものと思料する。
即ち刑法一七五条の猥褻物公然陳列罪は「猥褻の文書、図画その他の物を公然陳列したる者」を夫々構成要件としているため、前者は「人の行為」を対象としているに反し、後者は猥褻なる「物」を対象とすると一般に論ぜられている。しかし、一定の猥褻的所作が前者の「人の行為」に該当するか又は後者の「物」の範ちゆうに属するかは、右両法条の趣旨に則して目的論的に解釈すべきであつて、単に人間の肉体が提示されたという一事を捉えて形式的に前者の「人の行為」であると速断することはできない。刑法一七四条の「人の行為」であるためには 人の精神作用の発露たる行為であることを必要とするから、たとえ陰部を露出するという人の行動が公衆の面前で行われようとも、それが精神ある人の行為としての意味をもたず、単に観覧物としての人間の肉体に過ぎないと認められるときは、刑法一七五条の「物」の範ちゆうに含まれるといわなければならない。原判決は本件のいわゆるエロ・シヨウが踊子の全裸の肉体を観客に観覧せしめたという点を捉えて「人の行為」に当るものとして刑法一七四条を適用したが、検察官が本件のエロ・シヨウの猥褻性を主張したのは、単に全裸の肉体を観覧せしめたという一事によつたものでなく、一定の効果をねらつた演出の下に、音楽にあわせ、ライトを浴びながら踊る舞踊全体が観客の性慾を刺戟興奮させ羞恥嫌悪の情を生ぜしめると解したのである。この一体をなした演技全体は刑法一七四条の「人の行為」に当るものではなく、寧ろ刑法一七五条の「物」の範ちゆうに含まるべきものと信ずるのである。蓋し、この演技全体の中心要素をなす踊子の全裸の肉体は精神ある人の行為としての意味を全然有せず、単なる肉体の観覧物に過ぎず、而も演出者の意図のままに動く道具に外ならないと見るべきだからである。
更にこの種の行為を公然猥褻罪とみずに、猥褻物公然陳列罪と認むべき根拠として右両法条の法定刑の権衡ということを考えなければならない。刑法第一七四条の法定刑は六月以下の懲役若しくは五百円以下の罰金又は拘留若しくは科料であるに反して、刑法一七五条のそれは二年以下の懲役又は五千円以下の罰金若しくは科料である。仮に原判決判示の如き解釈によるべきものとすれば、例えば情交の場面を描いた春画又は映画の如きものを公衆の観覧に供するときは、刑法一七五条によつて最高二年の懲役に当るに反して、これと同じ情交の場面を劇に仕組み或はいわゆるシヨウとして現実の人間に演出せしめて観客の観覧に供するとすれば、観客の性慾を刺戟興奮せしめる程度の強烈さにおいて前者の場合とは格段の相異があるのに拘らず、わずかに最高六月の懲役に問擬されるに過ぎないことになる。これは明らかに不合理であつて、法の意図するところでないと言わなければならない。
刑法一七五条は叙上の理由によつて目的論的に解釈すべきであるに拘らず原判決はことここに出でず、形式的解釈に陥り本件に対して不用意に同法第一七四条を適用したことは明白なる誤りであると共に、他面本件事案の本質(いわゆるエロ・シヨウたる見世物即ち興業物であること)に対する適確なる判断をも誤つた結果徒らに刑法一七四条の法定刑に煩わされて軽い罰金刑を選択するに至つたものと解するの外なく、従つて右法条の解釈適用を誤つたことは延いて量刑に関連するものであつて判決に影響を及ぼすこと明らかである。
よつて控訴の申立を為したものである。